今年も世界では災害が続いていますね、ご支援頂いている方々に於かれましては現地の子ども達がどのような状況でどんな想いで過ごしているかお気を揉まれていることと存じます。意外と知られていない情報としては、この度の地震が発生した地域は以前から地震が多発していた場所であること、人口の約97パーセントはチベットの方々であることです。支援対象を分かりやすくする為、地理や概要を下に付けますね、あわせてご覧ください。皆さんのご支援をお待ち致しております。
中国 青海地震
ユニセフ 国際社会に500万米ドルの支援を要請
【2010年4月22日】
4月14日、中国青海省北西部の玉樹チベット族自治州玉樹県を襲ったM7.1の地震。ユニセフ中国事務所は、被災地の子どもと女性の緊急のニーズに応えるべく、支援活動を展開しています。こうした活動に必要な費用には、これまで、ユニセフ本部が持つ緊急支援事業活動用の準備金と通常の活動資金から、総額200万米ドルを一時的に充当してきましたが、今後、支援活動をさらに拡大・継続してゆくためには、追加の資金が必要とされています。
ユニセフは、被災地の子どもと女性たちの緊急・中期的なニーズに応えるため、今後6ヵ月間に必要な活動資金として、総額500万米ドルを国際社会に求めています。
【2010年10月までに必要な資金の内訳】
US$ | |
---|---|
避難所関連の支援(衣類・毛布等) | 500,000 |
保健と栄養分野での支援 | 1,200,000 |
教育分野での支援 | 1,500,000 |
水と衛生分野での支援 | 500,000 |
子どもの保護分野での支援 | 800,000 |
物流管理と事業調整(モニタリングと評価を含む) | 350,000 |
アドボカシー・広報 | 150,000 |
合計 | 5,000,000 |
中国 青海地震
学校の一日も早い再開が必要
【2010年4月19日 ニューヨーク発】
4月14日、中国青海省北西部の玉樹チベット族自治州玉樹県を襲ったM7.1の地震。被災地は標高が高く、被災者への支援は難航しています。
およそ200人の救助隊が高山病に陥り、被災地からの撤退を余儀なくされました。こうした困難な状況にもかかわらず、ユニセフは、学校用テント、毛布、子ども用の防寒服といった救援物資を届けるために活動を続けています。
今回の地震は、標高4,000メートルのチベット高原にある貧しい農村地域、結石に大きな影響を及ぼしました。町内の建造物の約85パーセントが崩壊。現在、地元の子どもたちとその家族は寒波のために、差し迫った危険に直面しています。
被災者を守るために
ユニセフ中国事務所のデール・ラスティン広報官は、現地の状況を次のように伝えてきました。
「日中は穏やかな気候ですが、夜には氷点下に達します」「現在、数千人もの人々が、屋外で夜を明かしています。建造物のほとんどが倒壊しました。壁も屋根も無いような場所で、人々は世を明かさなければならない状況です。」
中国では、子どもの約50パーセントが寄宿学校に通っています。今回の地震は、多くの学校の校舎や学生寮にも深刻な被害を与えました。地震発生時刻は午前8時前。多くの子どもたちが、丁度寮から教室に向かう途中の出来事でした。
ラスティン広報官は、もし地震発生のタイミングがずれていれば、もっと多くの犠牲者が出ていただろうと話します。また、この地域が人口密度が低かったことも、不幸中の幸いだったと語ります。
| ||
日常を取り戻すために | ||
|
現地教育当局は、玉樹県の小学校の80パーセント、中学校の50パーセントが深刻な被害を受けたため、2万3,000人以上の子どもたちが学校に通えない状態だと報告しています。
「被災地の学校は、広範囲にわたって被害を受けています。ユニセフは、現地当局を支援し、仮設校舎の設置を急ぎます。」 ユニセフ中国事務所代表で現地国連災害対応チームも統括するイン・イン・ニュイ代表はこう語りました。
「このような災害が発生した時、できる限り早く、子どもたちに日常の生活を取り戻させることが重要です。」「2008年の四川大地震の時の経験で裏付けられているように、専門的な心理社会的支援に加えて、全ての子どもたちを一日も早く学校に戻すことが、子どもたちが日常を取り戻すこと=心のケアに役立つのです。」
地震多発地帯
地元当局の要請により、ユニセフは、子ども用の冬用ブーツ2,000足、学校用品キットと学校用かばん5,000セット、黒板500枚の他、救急車、発電機、医療品といった支援物資を被災地へ届けるための準備を整えています。
また、中国政府民生部は、避難テント、冬服、布団、その他の緊急支援物資をこの地域に届け、この緊急対応の主要な役割を担っています。
今回地震が発生したのは、以前から地震が多発していた地域でした。この地域の人口の約97パーセントはチベットの人々です。
中国 青海地震 ユニセフ、支援物資を被災地へ
【2010年4月16日】
4月13日(現地時間)に中国青海省を襲った大地震。ユニセフは、現地当局などと情報の共有・支援の準備を続けていますが、ユニセフが活動できる分野において、これまでに、以下の支援が必要であることが確認されています。
教育分野(学年齢期の子どもたち)の緊急のニーズ
- 冬用ブーツ 2000足(6-8歳児用)
- 防寒用の上着、ズボン、靴下 5000人分(6-15歳児用)
- 被災した子どもたちのための登校用かばん 5000個
- 寄宿学校の子どもたちのための毛布 2000枚
【仮設教室での授業実施に必要な支援】
- 学校用テント 150基 (1基の大きさは72平方メートル、40-45人収容可能)
- 黒板 500枚
- 出力2000ワットの発電機 20セット
- 教師と子どもたちの寄宿舎の代わりとなるプレハブ住宅 5万6,000平方メートル分
母子保健分野
全壊した玉樹県の母子保健病院の活動を維持するための、救急車2台と新生児のための衣類。
【予防接種活動】
青海省疾病対策センター(CDC)は、感染症予防のためのワクチン接種キャンペーンの実施を計画。省政府に総額600万元の資金を要請。本キャンペーンでは、子どもたちにA型肝炎、破傷風、MMR(はしか、風疹、おたふく風邪)の予防接種を、また全ての人々にその他の予防接種を行う予定です。ユニセフに対しては、主に啓発活動のためのツール開発と、現地の言葉で書かれた広報物の支援が求められている。
水と衛生分野
被災地の給水設備の破壊・破損状況の規模は、現時点では明らかになっていない。農村部では、震災前でさえ、農業を営む約6万人の人々のうち、わずか約2万人の人々しか水道を利用していなかった。また、その他の地域でも、手押しポンプでくみ上げた井戸水や川等から集めた水が主な水源になっていた。中国水利部は、従って、現状でも農村部で飲料水を手に入れることは難しいことではないと伝えている。しかし、結石の避難所やキャンプでの生活を余儀なくされている人々に飲料水を提供することは現在困難な状況。
ユニセフの対応
ユニセフは、地震発生直後から、政府や他の人道支援団体と密接に協力して、可能な限り、現地のニーズの調査と被害状況の確認作業を進めています。ユニセフ中国事務所は、震災の影響を受けた子どもたちのために、現地に備蓄している緊急支援物資から、毛布、子ども用の冬用ブーツ(4700足以上)、冬服といった支援物資を、現地当局の要請があればすぐに提供するよう準備を整えました。また、現地民間業者などを通じて、避難所建設用の資材、テント、プレハブ住宅などもすぐに被災地に送れるよう準備されています。
中国 青海地震 多くの学校が全半壊
【2010年4月15日】
© AP Images/2010 |
中国西部、青海省で現地時間14日朝に発生したマグニチュード (M) 7.1の地震により崩壊した建物の下敷きとなった人を救出する消防士。ユニセフは、要請があれば支援活動を行えるよう準備している。 |
ユニセフは、13日に発生した大規模な地震の影響を受けた子どもたちのために、緊急に必要とされている支援物資を届けるべく準備を始めています。支援活動は、他の国連機関と調整の上行われる予定です。この地震により、玉樹県の農村地域は深刻な影響を受けました。この地域には、主にチベット遊牧民の人々が暮らしています。マグニチュード (M) 7.1を観測したこの地震の影響で、人口10万人の玉樹県の中心都市、結古の大部分が破壊されました。
現時点で、死者617名、負傷者9,110名に上ると報告されています。約313人が行方不明で、10万人が住む場所のない状態です。14日(水)夜、結古の多くの被災者たちは、氷点下の温度に耐えながら屋外で夜を明かしました。玉樹県の総人口は35万7,000人。そのうち子どもは、12万2,700人に上ります。
青海省保健当局によると、震災の影響で、玉樹県の母子保健病院は全壊したということです。医療物資や出産のための資材が緊急に必要とされています。
「我々は、子どもと女性の特別なニーズに焦点を当て、中国政府の活動を支援する準備を進めています。」ユニセフ中国事務所代表兼国連災害管理チームのイン・イン・ニュイ代表はこのように話しました。「中国政府関係者と常に連絡を取り合い、必要な情報を収集しています。民家、保健施設、学校といったところが大きな被害を受けているようです。」
玉樹県には、小学校50校、中学校4校、高校3校、職業高等学校1校があり、児童・生徒の数は全部で2万2716人、教師は1086人です。この子どもたちの90パーセントは、チベット少数民族の出身です。公立学校の始業時刻は8時半ですが、地震発生時の8時前には、子どもたちがすでに自習をしていた学校もあり、その多くが倒壊した校舎の瓦礫の下に生き埋めとなっていると見られます。地元教育局関係者は、玉樹県にある小学校の80パーセント、中学校の50パーセントが深刻な被害を受けたと伝えています。この地震は、14日朝、学校の授業の開始直前に発生したにもかかわらず、人口がまばらな地域ではおよそ半数の子どもが寄宿学校に出席していました。地元当局は、学校用テントや防寒衣、布団、学習キットの支援を求めています。
14日夜までに、少なくとも56人の子どもと、5人の教師がこの地震により命を落としたと報告されています。職業高等学校では22人の子どもたちが命を落とし、そのうち20人が女の子でした。玉樹県の第3完全小学校では、死者34名、負傷者27名、推定200以上の子どもたちが瓦礫の下に生き埋めとなっている模様です。玉樹県教育局は、2階建て以上の校舎の50パーセント、1階建ての木造校舎の80パーセントが崩壊したと伝えています。 さらに多くの子どもたちが行方不明となっており、生き埋めになっているものと見られますが、青海省とチベット自治州との境界に位置する人里離れた山岳地域について十分な情報を得ることは、いまだに困難な状況です。
現在、最も緊急に求められている支援物資は、食料、飲料水、避難テント、衣服、毛布、布団、必須家庭用品、医療品、救命用具です。この時期の山岳地域の気温は、夜には氷点下に達します。ユニセフは、備蓄している緊急支援物資から、臨時学校用テント、子ども用の冬服、毛布などをいつでも届けられるよう準備を整えています。
中国 青海地震 ユニセフ緊急支援を準備
【2010年4月14日 ニューヨーク発】
中国北西部、青海省で現地時間14日朝に発生した破壊的な地震。ユニセフは、この影響を受けた中国の人々に対し、深い哀悼の意を表すると共に、要請があれば、すぐに支援が行えるよう準備を整えています。
玉樹県を中心に発生したマグニチュード (M) 7.1の地震の影響で、少なくとも400人が命を落としました。初期の報告では、負傷者は、少なくとも1万人に上り、破壊は広範囲に及んでいると推定されています。死者の数は、今後さらに増加するものと見られています。
この地震の発生時刻は、現地時間、朝8時前。多くの子どもたちがすでに学校に登校している時刻であり、校舎が損傷した学校もあると報告されています。
重大な懸念
「ユニセフは、青海省の震災の影響を受けた人々の、特に子どもたちが命を落としたと伝えられていることが心配です。」とユニセフのルイ・ジョルジュ・アーセノー緊急支援計画部長は話しました。「学校が倒壊しているという報告も届いています。ユニセフは、現在、状況を注意深くモニターしています。」
また、国連も中国の人々に哀悼の意を表明しました。
「事務総長は、中国政府が被災者の支援と状況の調査に注力していることを認識しています。」潘基文(バン・ギムン)国連事務総長は、このように声明を発表しています。「国連は、中国政府からの要請があれば、いつでも支援を行う用意があります。」
余震
現在までに、最大でマグニチュード (M) 6.3を含め、少なくとも18回の余震が観測されています。この余震は、今後も続くものと見られます。
地震の揺れは、近隣のチベット族自治州と四川省でも感じられましたが、この地域での被害は報告されていません。2008年の中国四川省を襲った地震では、推定8万7,000人の人々が命を落としました。
*******************
ユニセフは、過去の中国四川省での大地震の際には、災害直後から被災した子どもたちの命を守るための緊急支援ならびに復興支援をおこなっています。今回の地震に関しても、被害の状況と支援の必要性が確認され次第、緊急支援を開始する準備をしています。
|
---------------------------------
--------------------------------
「青海省」(この項目では、中華人民共和国の現行行政区画について記述しています。)
簡称: 青 (拼音:Qīng )、簡体字・繁体字 青海、拼音 Qīnghǎi、カタカナ転記 チンハイ
省都・最大都市 西寧市
面積 721,000 km² (4位)
人口 (2004年)-人口密度 5,390,000人(30位) 7.48人/km²(30位)
GDP (2008年)-一人あたり 962 億元 (30位) 17,389 元 (22位)
HDI (2006年)-0.702 (中) (27位)
主要民族 漢民族-54% チベット民族-23% 回族-16% 土族-4% サラール族-1.8% モンゴル族-1.8%
青海省(せいかいしょう、チベット語:ツォゴン・シンチェン、チベット文字:ワイリー方式:mtsho sngong zhing chen, サラール語:Gökdeñiz Velayat, モンゴル語:Köke Naɣur)は、中華人民共和国の西部に位置する省のひとつ。省都は西寧市。1928年に青海省成立。省名は、省内に国内最大の湖沼である青海湖(チベット名ツォティショギャルモ、モンゴル名フフノール)があることにちなむ。
概要
この省の領域の大部分は、チベット人自身によるチベットの地方区分でいう「アムド地方」に属し、アムド地方の西部から中央部を占めており、東南部に位置するキクド(ジェクンド、玉樹)一帯のみ、カム地方に属する。またモンゴル人は、この地やそのモンゴル系住人を「デート・モンゴル(高地モンゴル)」と称する。2005年1月省長に就任した宋秀岩は中国で20年ぶりの女性省長である。
この省の領域を枠組みとする地方行政単位の成立は、雍正帝のチベット分割にさかのぼる。清朝の雍正帝は、1723年から1724年にかけて、当時この地方を含むチベット全土を支配していたオイラト系モンゴル人のグシ・ハン一族を征服、彼らの支配下にあった七十九族と呼ばれる諸部族を、タンラ山脈を境に南北に分割、青海四十族と西蔵の三十九族に二分した。清朝は青海モンゴルや四十族などの諸侯を、西寧から支配、この枠組みは中華民国にも引き継がれ、青海省の基礎となった。中国の現行の行政区画としての西蔵と青海は、直接にはこの分割を起源としたものといえる。
歴史
古代の西戎の地で、漢代には姜族が占拠し、西羌(せいきょう)と呼ばれた。隋王朝は西海、河源などの郡を設置したが、吐谷渾(とよくこん)が勃興し、領域とした。7世紀には吐蕃王朝(とばんおうちょう)のチベットと唐王朝の中国の抗争の舞台となり、8世紀に大部分がチベット領となった。822年、チベットと中国の間で和平と国境を定めるための条約が締結され、青海湖の西南にある日月山が両国の国境と定められた。条約の文面はチベット語と中国語(漢文)の2ヶ国語で石碑に刻まれ、チベットの都ラサ、中国の都長安、日月山の3ヶ所に設置された。ラサに設置された石碑のみ、現在まで失われずに残り、「唐蕃会盟碑」として知られている。吐蕃王朝の統治下で、この地に居住する諸種族の多くがチベット人としての自意識を持つようになって現在に至っている。
宋代(北宋・南宋)には吐蕃王朝の末裔が樹立した青唐王国の拠点となったが、タングート系の西夏に併合されて滅亡した。17世紀半ば、西モンゴルオイラト部のグシ・ハンが配下を引き連れてチベットの各地に移住し、チベットを征服した際には、この地が本拠地となった。現在この省の中央部から北西部にかけて居住している青海モンゴル族は、この時移住してきたグシ・ハンの配下の末裔である。18世紀、清朝の雍正帝はグシ・ハン一族の内紛に乗じて青海地方に侵攻(いわゆる「ロブサンダンジンの乱」)、グシ・ハンの子孫たちを屈服させ、一族がチベット各地に保有していた権限、権益をすべて接収、青海モンゴル族は盟旗制により再編、チベット人諸侯たちには各級の「土司職の称号を与え、所領を安堵する、という支配体制を築いた。清末以来、ムスリム(イスラム教徒)の馬氏政権の支配下に置かれ、1928年、河西回廊の南部と会わせて「青海省」が設置されたのちも、遊牧地域では、従前とさほど変化のない社会構造が継続した。1950年代半ば、中国人民政府による民主改革が行われたのを契機に大規模な抗中蜂起が勃発、チベット動乱の引き金となった。1958年以降、原爆、水爆の開発が同省内でおこなわれている。2010年4月13日には中国・青海省玉樹チベット族自治州玉樹県地震が起こっている。このような歴史的背景から、日本国土のおよそ2倍の面積を有する青海省は本来的にはチベットであると酒井信彦元東京大学教授は指摘している[1]。
地理
青蔵高原東北部に位置し、黄河、長江、メコン河の水源地帯となっている。省東北部に中国最大の内陸塩湖・青海湖がある。西北部には乾燥したツァイダム盆地が広がる。大陸性高原気候で一日の温度差が激しく、降水量は少ない。北部から東部にかけて甘粛省、南東部は四川省、南部から西部にかけてチベット自治区、西北部は新疆ウイグル自治区と接する。
行政区画
拡大表示(SVGファイル対応ブラウザのみ)1724年、雍正のチベット分割の際に清朝がグシ・ハン一族より接収したチベット東部の最北部に「青海」地方が設けられた。その領域は西寧辧事大臣管轄下の青海蒙古四十旗と、チベット系、モンゴル系の諸侯40家からなる青海四十族の所領を合わせた範囲で、青海蒙古四十旗は盟旗制、青海四十族は土司制によって管理された。
世襲の領主に所領を安堵する盟旗制、土司制度は、辛亥革命によって成立した中華民国、また1928年にこの地に省制度を敷いた南京国民政府の下でも引き続き維持され、廃止されたのは中華人民共和国政府によってである。
人民政府による行政区画は2010年現在、6自治州、1地区、1市を管轄している。詳細は下部データボックスを参照。
・西寧市
・海東地区
・海北チベット族自治州
・海南チベット族自治州
・黄南チベット族自治州
・ゴロク・チベット族自治州
・玉樹チベット族自治州
・海西モンゴル族チベット族自治州
経済
2004年の全省生産総額は対前年比17.2%増の455億人民元であった。もともと毛沢東時代に対ソ連戦争に備えて、軍事工業が内陸の青海に配置されていたが、2000年以来、国務院の西部大開発計画によって工業化が進展している。しかし、少数民族の農牧民の収入は依然として低い水準にある。2006年7月1日、ゴルムドとラサを結ぶ青蔵鉄道が開通した。
参照:「青海省」(最終更新 2010年4月29日 (木) 14:37 UTCの版)フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)日本語版』
----------------------------------------
「西寧市」(旧称:西都)
面積- 総面積 7,472 km²
海抜 2,275 m
人口- 総人口(2004) 179 万人- 市区人口(2007) 77.4 万人
経済- GDP(2006) 28,200 万元- 一人あたりGDP 13,326元
西寧市(せいねいし)は中華人民共和国青海省の省都。五区からなる市区と三つの県から構成される地級市のひとつ。チベット名はシリンだがシニンともいう。省人民政府は本市の城中区にある。人口205万人、青海省全人口518万人の40%に当り、漢族、回族、チベット族、モンゴル族などの民族が住む。
地理
青蔵高原東部辺縁、黄河支流・湟水流域に位置する。 北は青海省海東地区行政公署、南は同海北チベット族自治州と接する。
歴史
市域の主要部は、歴史的に河西回廊の一部分を構成してきた。
紀元前121年、前漢の霍去病将軍が市域に軍事拠点・西寧亭を築いたのが始まりである。前漢末に西海郡が設置され、五胡十六国時代には南涼の国都となった。隋代に西平・河源の二郡となり、唐代後半には吐蕃に占領された。宋代に収復され西寧州が設けられたが、後に再び西夏に占領された。清代には西寧府が置かれ、甘粛省に属している。雍正のチベット分割以後、清朝の支配下に入った青海地方の青海モンゴル人や、チベット系、モンゴル系の遊牧集団「四十族(玉樹四十族)」は、この地に配置された西寧辧事大臣によって掌管されている。
1922年5月22日大地震があり、約20万人が死亡。
1929年、国民政府により甘粛省から切り離され、青海地方と合して青海省が設置され、省都となる。
1950年西寧市人民政府が正式に成立、1999年湟中県、湟源県を合併した。
ツォンカ地方(湟中県)はチベット仏教ゲルク派の宗祖ツォンカパの生誕地で、後、この地にクンブム・チャンパーリン寺が建立され、モンゴル、チベットからの巡礼者、修行僧が集い、チベット六大僧院のひとつとして繁栄した。
参照:「西寧市」(最終更新 2010年3月19日 (金) 08:53 UTCの版)フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)日本語版』
----------------------------------------